April 20, 1999

空爆直前のベオグラードで見たものは...メガデモ

声を絶たれたB92

3月24日、NATO事務総長がユーゴスラヴィア空爆命令を出した直後、セルビア共和国内での支持と国際メディアからの支援を背景に、最後まで活動を続けてきた独立系ラジオ局B92のラジオ送信が禁止された。追って4月2日、ベオグラード市内にあるオフィスが政府によって閉鎖され、最後の手段であり、B92の象徴ともいうべきインターネットによるストリーミング放送とWEBによるニュースサービス(http://www.b92.net)も絶たれた。

B92は、ささやかなフリーラジオから始まり、地元の若者の欲求にマッチした内容で人気を博して成長を続けながら、1996年末には現在も続くミロセビッチ政権に対する民主化要求運動で国営放送局を向こうに独自の視点による情報を提供、それまで黙認していた無許可放送の咎で政府より放送を強制停止させられるも、インターネットを用いて配信することで、国際社会を味方に得、国外からの再放送を実施することで、結局、長期にわたる国営放送局の送信機使用契約という、より有利な条件で復活という過去を誇っていた。昨年には、他の独立系メディアが送信・発行禁止で追い詰められる中で、正式な放送免許を取得、一方でMTVヨーロッパ・ビデオミュージックアワードの一部門を受賞と、独立した表現を求めるジャーナリストやアーティストにとって最後に残された大きな拠り所として、より活発に活動していた。

空爆直前にメガデモ大会

B92は全体主義的社会に傾くセルビアの中で、ジョージ・ソロス財団など国際的な芸術・報道支援機関の支援を受け、ラジオのみならずミュージックCDやビデオを制作する他、誰でも自由に使えるデジタル工房「サイバーレックス」や企画持ち込み大歓迎のデジタルシアター「シネマレックス」を運営、「追いつめられて無気力になっているユーゴの若者たちに、自分自身で生き方を創造し、変えることが出来ることを実感できる場に」(ディレクター談)というコンセプトのもと、外からの情報やメディアと接する機会が狭められているベオグラードで新しい表現と親しめる、文化の拠り所を提供していた。空爆1週間前である3月18日の夜、筆者が訪れた時は毎月恒例のメガデモ大会が開催され、瓶ビールを片手にした若者たちで埋め尽くされていた。大会前、VJたちが次から次へと熱心に説明し、質問しあうひたむきな姿が今でも深く印象に残っている。

実力による放送禁止以降、「サイバーレックス」「シネマレックス」は活動を休止、一方、B92は長年代表として牽引してきたサシャ・ミルコヴィチが政府命令で解任され、代わりに政府青年評議会よりアレクサンダー・ニカシェヴィチが代表として送り込まれた。消息筋によると、政府管理下で4月12日より、B92の名称で、かつ、全く同じ帯域で以前の4倍にあたる1000Wの出力による放送が開始されている状況にある。

この原稿は「週刊アスキー」のために書き下ろしたものです

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