November 20, 2005

再生の世紀:フルムーンのバリ島にて

※ すこし、飛行機の中でメールを書いていたのですが、載せたくなったので記します

岡田 智博 です

今、シンガポール航空シンガポール行きの中です。

さて、昨日、九大の建築探偵のバリでの「パトロン」であるキュレーターに連れられて、「パトロン」氏の父のサンスクリットの賢者と一緒にキンタマーニの山を超え半日がかりでフルムーンデイのお参りに北部海岸のお寺に行きました。

氏といさかいを起こした不良警官が賄賂を求めずに「俺はこの寺で改心して運が上向きだからお前も参れ」という寺だそうで、あげくのはてに家にころがしといた高岡銅器を別の人が見て「これには心が籠もっているから床の間に置きなさい」と言われ、最大手広告代理店で働いていた辣腕マネージャーの夫人と生意気な小学生のガキと一緒に行ったのですが・・・

既に用意してくれた現地の着物に着替え(テロ以降、ウブドなどがある県では地元文化教育を徹底、着物通学と寺院へのお祭り参加が始まったそうです)
「日本もそうすればいいのに」と一言、キュレーター氏。
「日本は多民族社会なのでそんなことしたら差別だとか、着物は高いから差が出るとかいろいろ『社会』から言われるから出来ないよ」と残念ながら返す。

確かに、わが国の着物はスーツなので高いから浴衣程度で済む彼らは出来るのでうらやましい。
しかし、今、寺院で華美なのを着ると嘲笑の的になるそうです。
「お前、そこまでして見せびらかしたいのか」と言われるそうです。
今、伝統によってアイデンティティを守ろうとするバリ人は、皆が等しく伝統を守り団結して自らの世界を守ろうとしているとのこと。

ピーカンの中に風が寺院に吹き抜ける清涼かつ神秘的な一瞬にいつもならしびれる座禅の足も石の上にてもしびれず何かを得たようです。
その上で高岡銅器をホンダのRVの後ろに置いていたのですが行きは重くてスピードも出ず燃費も悪かったそうですが、帰りは夫人の膝の上に乗せたら軽快快適になってしまいました。

昨日はそのままこのキュレーター氏のヴィラに泊まったのですが、満月のお参りにミッドナイトに行く予定が豪雨に包まれました。
やはり僕の所為かと思いきや
「これこそ雨季始まりの初の豪雨だからいいことなのだよ」と四方雨幕に囲まれた田んぼの中での清涼かつ神秘的な光景に夜を過ごしました。
そして、全てが清らかな空気の中で紅く開かれる朝

それはまるで、奥菜恵が小学生スターで異彩を放った、バブル期のフジテレビドラマ「パ☆テ☆オ」の最期のような朝

この誼はきっとこれからに何かをもたらすことでしょう。
そしてそれを信じることがバリ流です。

最期にバリでは現地の日本人たちが。
「本当の日本とはと目から鱗が落ちた」というような、もう一つのそして本来の日昇るころの日本の熱き人々の話をたくさん聞きました。
僕は逆にNPOとしてアート運営の手法をお返しに語りつつ。

難儀は全て克服のためにあるのでしょう
そこで起きたプロセスは大事にしたいです

追伸:
英語についてですが、1週間もいると、シングリッシュが板についたようで「マッキントッシュ1984」の制作者でありオグリビーの上級副社長に「こんなに日本語と同じように英語を話したてる日本人は見たこと無い、もう少し、ゆっくり話せは最高だよ!」と記者会見後に言われてしまいました