November 25, 2006

ZAIM3Fの映写室にて:生かされていると言う価値:The Da Vinci Code

クリエイティブクラスターの横浜本部があるZAIMの3階。
そこにTagichiの音響システムが入った映写室が生まれた。

最高のプライベートAV+ゲーム部屋を秋葉原に作れとの依頼を宇宙旅行者から受けたワタシ、Taguchi総帥の田口氏より、そのプロトタイプとなる音空間をその3階に作ったという。
本部オフィスと同じフロアに映写室。益々、横浜アムステルダム化が進行中だ。

そこで映写室に入ると、アイドル系コンテンツシネマの自主上映の狭間で、実験とばかりに「The Da Vinci Code」のDVDを慣らし上映中。
岡田占有で体験だ。
結果からいうと、プロジェクタ上映で、Tagichiの音が映画館以上にハイクオリティで音が勝ちまくりという状況。これはスーパーラグジュアリーな人でも大満足であろう。
PS3Wiiなど繋いだら狂いそうだ(というか持ってきてしてみたいとは映像系ZAIM住民の総意)

横浜のシネマシーンを支えつつも潰えた福寿系が再生する上映会など、ZAIMの映像上映メニューは目白押しだが、空きを縫って、極私的上映などリビドー全開でやりまくりたいというか、終電無くなったら、DVD俺シアターだなどと思ってしまう、素晴らしさだ。

さて、The Da Vinci Code をこのような素晴らしい環境でまるでニューシネマパラダイスの最終シーンの極私的接吻満載映像で汚れてしまった主人公泣きまくりのような感じで見ていると、原作から存在してきたメッセージが伝わるのである。

人は生きるのではなく生かされている

歴史の継続にとって必要な人は生かされ、そして、生かされた人がミームである人智の歴史を継続しつつける
私たちは果たして生かされるべき存在であるのだろうか?
ただ、動物的に生きるという意欲だけで生きていたのでないのだろうか?

その視点から考えると、様々な歴史の闇と謎に合理性を感じずしてならないのである
それこそが本来の歴史意識ではないのだろうか
今の日本の社会にのんべんだらりんと生きていて歴史意識を砥ぎ覚ますことは出来るのか?

岡田は今の自分に反省しきりになってしまいました
今の岡田は生かされるべき存在なのかと・・・